日本嵩山少林拳連盟について

日本嵩山少林拳連盟は、中国の国技であり千五百年の長い歴史を誇る真の少林武術の普及と青少年の育成を目指し日中友好の促進に寄与する事を目的として設立したものです。
少林武術は中国河南省少林寺を源に発し、拳術の他、多くの武器を自在に操る魅力を秘めています。
中国河南省の省都、鄭州市から南西に75キロー際あたりに威厳を放つ聖なる山『嵩山』その山懐に抱かれた山麓の一角に名刹少林寺があります。現在外国人に対しては嵩山少林寺の近郊 にある『河南省嵩山少林寺武術館』のみで指導がなされているのが現状です。
日本嵩山少林拳連盟の拳士の留学はもちろん、連盟の指導者は、この嵩山少林寺武術館での指導を受け、自信を持って後進の育成にあたっております。

日本嵩山少林拳連盟史

1987年(昭和62年) 福岡県、熊本県、大分県で活動していた少林拳の団体で、 「日本少林拳武道連盟」を設立。連盟会長に佐伯國雄が就任。
中国雲南省武術館館長沙国政老師に少林拳学習のため、馬原秀雄を中国に派遣。

1989年(平成元年)
雲南省政府体育委員会に佐伯國雄会長、河津政雄副会長両名が、交流・御礼の為、表敬訪中。

1990年(平成2年)
沙国政老師より「第一回国際少林拳会議」に招待される。
他3名の代表団で登封市を訪中。大会にも参加。

1991年(平成3年)
4月雲南省全汝忠老師(沙国政老師の第一弟子)が来日。査拳など少林拳の指導を受ける。
9月中国鄭州市で開催された「第一回国際少林武術大会」に招待され、会長佐伯國雄が訪中。
沙国政老師8月逝去。墓参りのため、雲南省を訪ねる。

1992年(平成4年)
9月第二回中国鄭州国際少林武術大会に会長佐伯國雄を代表に拳士5名が出場。
拳術優秀表演賞・立石誠信一河津政次表演賞・成松広治・大井仁・木村雄一郎
階級別散打(組み手)3位・成松広治4位・河津政次6位・大井仁

1993年(平成5年)
9月第三回中国鄭州国際少林武術大会に会長佐伯國雄を代表に拳士6名が出場拳術優秀表演賞
手島巧(器械・棍5位、剣6位)表演賞・木村雄一郎・成松広治・大井仁・河津政次
階級別散打3位・木村雄一郎3位・成松広治3位・大井仁5位・河津政次

1994年(平成6年)
11月中国嵩山少林寺釈徳虔先生歓迎記念大会少林拳選手権大会開催

1995年(平成7年)
6月~8月中国河南省登封市嵩山少林寺武術学院へ3ヶ月間河津政次・大井仁留学
9月中国鄭州国際少林武術大会に会長佐伯國雄を代表に拳士7名が出場拳術・表演賞
熊本学園大学、近畿大学、九州共立大学、西日本工業大学

1996年(平成8年)
嵩山少林寺第31代弟子として、会長佐伯國雄が嵩山少林寺に入門し、「釈徳洋」の法名を拝命
8月中国河南省登封市嵩山少林寺武術館へ2週間、楢林秀記留学
日本で初めて、嵩山少林寺武僧団による「少林武術公演」が、熊本県立総合体育館、熊本県小国町ドーム、 福岡県田川市総合体育館に於いて開催される。
成功に導き、中国少林武術関係者とのより一層の人脈を構築
16ヶ国参加の下、国際少林武術聯合総会の設立総会が、熊本市国際交流会館でに開催当連盟会長佐伯國雄が、同総会の主席に就任

1997年(平成9年)
3月中国河南省登封市嵩山少林寺武術館へ1ヶ月間留学大井仁入江幸夫手島巧手島孝一朗
8月中国河南省登封市嵩山少林寺武術館へ手島敬治郎手島和登美らを団長に拳士18名、2週間留学
9月第五回中国鄭州国際少林武術大会に出場
拳術優秀表演賞・河津政次散打3位・河津政次

1998年(平成10年)
4月連盟会長に河津政雄就任
8月中国河南省登封市嵩山少林寺武術館へ6名1週間留学
9月の国際大会に向け指導を受ける

1999年(平成11年)
9月第六回中国鄭州国際少林武術大会に副会長手島敬治郎を代表に、拳士7名が出場
拳術・優秀表演賞植林秀記山本伸佳
器械・最優秀表演賞手島信幸表演賞平田将博手島孝一朗

2000年(平成12年)
6月会長佐伯國雄逝去
8月中国河南省登封市嵩山少林寺武術館へ手島敬治郎手島和登美稲永勝英らを団長に拳士34名、 2週間留学
12月中国河南省嵩山少林寺武術館を訪中。中国河南省少林寺武術館焦紅波館長と、会長河津政雄・ 副会長河北正信・副会長手島敬治郎との間で、今後の少林武術交流の骨子を固める

2001年(平成13年)
3月中国河南省登封市嵩山少林寺武術館へ山本尚欣8ヶ月間留学
7月中国河南省嵩山少林武術館焦紅波館長ほか3名の武僧が来日。
日本嵩山少林拳連盟所属、九州地区道場視察。同時に武術指導を受ける。
8月福岡県スコーレ若宮研修センターに於いて、中国嵩山少林寺武術館焦紅波館長より直々に、 当連盟拳士60名が、日本初の段位審査を受ける
9月中国鄭州国際少林武術大会に会長河津政雄を代表に、拳士4名が出場器械・3位朴刀山本尚欣
拳術・表演賞村田隆文

2002年(平成14年)
3月中国河南省登封市中国嵩山少林寺武術館へ村田隆文6ヶ月留学
9月嵩山少林寺陳老師に拝師、「釈延少俊」を拝命
7月中国河南省登封市中国嵩山少林寺武術館へ手島敬治郎手島和登美稲永勝英らを団長に拳士25名、 2週間留学

2004年(平成16年)
5月中国河南省嵩山少林寺武術館焦紅波館長を会長河津政雄が訪中
7月中国河南省嵩山少林寺武術館へ手島敬治郎河津政次平田将博らを団長に拳士20名、2週間留学
8月中国河南省少林寺武術舘館内に、日本嵩山少林拳連盟の記念碑が創られる
10月第1回世界伝統武術大会に河津政雄を代表に、5名の拳士が出場拳術金・村田隆文銀・今村勇武、 山本佑太銅・岡田隼、太岡野将也器械金・村田隆文

2005年(平成17年)
4月中国河南省登封市少林寺武術館へ手島孝一朗1年間留学
7月中国河南省登封市少林寺武術館へ手島敬治郎河北正信らを団長に拳士10名、2週間留学

2006年(平成18年)
3月中国河南省登封市少林寺武術館へ今村勇武前期8ヶ月留学
7月中国嵩山少林寺武術館へ河津政雄手島敬治郎らを団長に拳士20名2週間留学嵩山少林寺に徳楊老師を拝師、会長河津政雄「釈行福」、副会長手島敬治郎「釈行敬」と法名を拝命
※「法名」とは、真の仏弟子が生前、仏教の師匠から頂く名前のこと。

2007年(平成19年)
3月中国河南省登封市少林寺武術館へ今村勇武後期8ケ月留学嵩山少林寺拝師、今村勇武「釈行温」と法名を拝命
7月中国河南省登封市少林寺武術館より武僧を2名福岡県糟屋郡篠栗町へ招聘。
拳士80名が、2週間の武術指導を受ける。

2008年(平成20年)
7月中国河南省登封市少林寺武術館より武僧を2名福岡県粕屋郡篠栗町へ招聘。
拳士39名が、2週間の武術指導を受ける。

2010年(平成22年)
7月中国河南省登封市少林寺武術館へ手島敬治郎・手島孝一朗らを団長に、拳士名が2週間、3名が1ヶ月、
1名が3ヶ月留学
嵩山少林寺徳楊老師を拝師手島孝一朗「釈行崗」中原和之「釈行森」と法名を拝命
10月中国湖北省十堰市第4回世界伝統武術フェスティバル馬原秀雄を代表に出場
拳術銀・毛利悠二銅・今村勇武器械銅・毛利悠二、松田修平

2012年(平成24年)
7月中国河南省登封市少林寺武術館より武僧を2名福岡県糟屋郡篠栗町へ招聘。
拳士44名が、2週間の武術指導を受ける。

2015年(平成27年)
8月第8回アジアジュニア武術選手権大会出場モンゴル自治区南拳5位南刀10位南棍優勝・毛利悠二
11月第13回世界武術選手権大会インドネシア・ジャカルタ
南拳5位南刀9位南棍9位・毛利亮太

2017年(平成29年)
6月中国河南省登封市少林寺武術館へ
鹿島虹希が、3ヶ月留学。